創業50年以上
今も変わらぬ場所に
今も変わらぬ場所に
創業者 三輪豊治(1932 – 2013)
三菱重工業様からのつながりで 神戸の船舶装備を主に手掛けていた或る会社の社長様と出会い、夢であった船舶の造作家具の仕事を請け負い始める
昭和25年 | 創業者 三輪豊治 長崎県立長崎工業高校を卒業と共に憧れの京都へ |
地元の大手企業に入社の内定を受けてたにもかかわらず、夢を捨てきれずに上京 | |
木工会社に就職し、職人見習い・現場作業と何でもこなし修行を積む | |
お世話になっていた上司が事業を立ち上げるのをきっかけに誘われ会社を移る | |
昭和39年 | 豊治の豊の字と京都の地で有名な竹をつなげて 豊竹工芸と名付けた |
右.創業者 三輪豊治/左.専務 田中 正三/下.白波瀬 初美(設立当時の写真 昭和39年5月22日) |
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日本丸・さくら丸・ブラジル丸と豪華客船の貴賓室等を任されていた 貴賓室に漆絵の額縁等も製作し外国船籍の船には好評を得ていた |
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昭和45年頃 | 船舶については、主にタンカーの内装が多く、 |
船長室の豪華な設えが目立つ | |
カーフェリー サンフラワーに於いては、シリーズのイレブン11番船までを手がける | |
昭和55年頃 | 船舶業が低迷し出したころから船舶製造の技術を生かし、 |
陸上での造作家具を手がける | |
この頃、億ションが出始めマンションの造作家具を多く手掛けた
エレベーターでの運搬が困難な大型家具ももともと船舶での造作技術(一度、組立てたものをバラして、現場で組立てる)を存分に生かし受注を伸ばしていった |
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船舶関係では、琵琶湖のミシガン・ビアンカ・一番丸等も手掛け、タンカーの曳船に関しては、現在も年間2隻づつ請け負っている。 | |
工務店様・建設会社様とのお付き合いも深まり、店舗の内装も手掛けるようになる | |
平成10年頃 | この頃から、白波瀬初美は、入社と共に事務職や三輪豊治の |
運転手として豊竹工芸で働き始める。 | |
近年 | 店舗関係では、祇園の辻利様等凝ったデザインの内装を得意とし |
塗装を活かして、お客様の好みの色を作り出す事にも好評を得ている。 | |
お客様に喜んでもらえることを第一に日々切磋琢磨を続けている。 |